(そういえば、今日は律子の誕生日か……)
時計の文字盤に光る、06/23という文字。一年に一度、必ずめぐってくるこの日は、俺の担当するアイドル、秋月律子の誕生日だった。ただし、今日は律子はオフで、俺は他の担当アイドルの仕事で駆けずり回っている、そんな日でもある。
折角の誕生日を祝ってやれないのは心残りではあるが、これも仕事、やむを得ない。とはいえ……割り切れないものも、内心ある。
「お疲れ様でーす」
「お疲れ様です、プロデューサーさん。遅かったですね」
「ええ。ちょっと打ち合わせが長引いちまいまして」
『16時帰社予定』と書かれたホワイトボードをチラッと見て、事務員の小鳥さんがで迎えてくれた。ちなみに時計は五時半を指している。一時間半を「ちょっと」というのかどうかは微妙なところだ。そんな俺を見て、小鳥さんが少し眉をひそめる。
「駄目じゃないですか。ちゃんと時間どおりに帰ってこないと」
「え? ああ、すいません……」
何故か小鳥さんに怒られた。この業界……にかぎったことではないかもしれないが、打ち合わせが延びて遅くなるのはよくある話、今までだって何度もあったことなのに、どうして今日に限って? 戸惑う俺に、小鳥さんが小さくため息をついた。
「まあ、お仕事ならしょうがないですけど。会議室にお客様が待ってらっしゃるので、早く行ってきてください」
「お客?」
はて? 誰だろう。今日は特に来客予定もなかったはずだが……というか、俺のこの後の仕事は?
いろいろ思うところはあるが……小鳥さんの無言の圧力に負けて、足を会議室へと向ける。
「失礼します」
「プロデューサー?」
「……律子?」
会議室のドアの向こう側、そこで俺を待っていたのは誰であろう律子、その人だった。しかも、普段見慣れた格好、青のストライプのシャツ姿じゃなく、随分とこじゃれた格好で。よく見るとさりげなくイアリングがしてあったり、軽くメイクまで施されているように見えるのだが……そしてなにより。
「どうしたんだ? その格好は……」
トレードマークの一つ、お下げが解かれていた。一瞬、赤の他人に見えるくらい印象が違う。これでもう一つのトレードマークであるめがねがなかったら、いよいよもって誰かわからないかもしれない。
でも、そんな俺の反応に、律子の目が軽くとがった。
「どうしたもなにも、プロデューサーの指示だって聞いたんですけど?」
「はぁ? 俺の指示? いや、そもそも律子は今日オフだったはずじゃ……」
話が見えない。そう、律子の姿に気をとられて肝心なことを忘れていたが、今日は律子はオフだったはず。そもそもどうして今日、ここにいるんだ?
「それはこっちのセリフですよ。私もオフだと思ってたら、急遽衣装合わせがあるから事務所までって小鳥さんが」
「小鳥さん?」
待て。待て待て待て。俺はそんな話、聞いていないぞ。とりあえず小鳥さんに確認を……と思ったその時、会議室のドアが開いた。
「はいはいはい、そこまでです、お二人さん」
「小鳥さん?」
問題の張本人、小鳥さんが満面の笑みで戸口に立っていた。そしてその後ろには、社長の姿も。一体何事だ?
「小鳥さん、これは一体……」
「プロデューサーさん、今日は何の日ですか?」
「え? き、今日ですか?」
いきなりそんなことを聞かれても、今日だって色々なことがあるわけで、どれのことを言っているのかわからない。そんな俺に業を煮やしたように、小鳥さんが大げさにため息をついた。
「もう! 律子さんの誕生日じゃないですか」
「え? ああ、ええ、それは覚えてましたが……」
思わず律子の顔を見てしまう。律子は律子で、どう反応したらいいのかわからない、そんな顔をしていた。
「そこで、だ。君に特別業務を命じようと思ってな」
「特別業務?」
後ろに立つ社長の口から出てきた物々しいセリフに、無意識のうちに体が硬くなる。俺の様子を見て、社長が小さく笑った……ような気がした。
「なに、大したことじゃない。律子君の誕生日を祝ってきたまえ」
「……は?」
予想外なんてものじゃない。そんな「特別業務」、誰が予想できる? 律子だってそうだ。一体何を言われているのかわからない、そんな表情を浮かべていた。
「もう。鈍いですよ、プロデューサーさん。要するに、律子さんとデートして来い、ってことです」
「デ、デートっ?」
……予想外を通り越した話の展開に思わず絶句してしまった俺の代わりに、律子が素っ頓狂な声を上げる。見れば、少し顔も赤くなっている……ような気がする。
「うむ。とはいえ、律子君だってアイドルだ。多少は変装も必要だろうということで、髪を解いてもらったわけだ」
「その服は、私と社長からのプレゼントですから。遠慮なく受け取ってくださいね」
「あ、ありがとう、ございます」
なるほど。そういうことか。謎はすべて解けた、が……。
「社長、他の業務は……」
「何を野暮なことをいっておる。『特別業務』だと言っただろ?」
「……わかりました」
「社長命令」とあらばしょうがない。幸い、今日中に片付けなければならない仕事はもう残っていない。明日以降に回しても問題はないだろう。
「それじゃ、お二人でごゆっくり」
そんな小鳥さんの笑顔に見送られて、俺たちは事務所を出た。
「その……迷惑ですか?」
事務所を出て開口一番、律子が少し不安そうに尋ねてきた。
「いや……そんなことはないが……ちょっと展開についていけてない感じ、かな」
「あはは。私もそんな感じ、です」
苦笑いで答えた俺に、律子の顔にも笑顔が戻る。お互い、ようやく普段の自分たちに戻ってきた感じだ。
「そういう律子こそ、オフだったのによかったのか?」
「ええ、それは別に。オフだからって特に何か予定があったわけでもないですから」
「そっか……ま、あれだ。折角のお膳立てだ。今日は一つ、精一杯誕生日を祝わせていただくことにするよ」
俺だって律子の誕生日を祝ってやりたい気持ちはあった。こうやって舞台を整えてくれた社長と小鳥さんに感謝するべきなのだろう、多分。
「なんですか。その『精一杯誕生日を祝う』って」
「さぁ? なんだろうな。強いて言うなら、俺の意思表明かな」
「意味がわからないですよ」
あきれたように笑う律子だけど、心なしか少し、表情がやわらかい気がする。
「はは。俺もよくわからん」
「もう。ほんとプロデューサーはいい加減なんだから」
「相変わらず手厳しいな。じゃ、まずは飯でも行きますか」
いつまでも事務所まえで立ち話をしていても埒があかない。貴重な時間を浪費するのも馬鹿らしい話だと思って、とりあえず歩き出そうとした俺を、律子が呼び止めた。
「あ、あの……」
「ん?」
「その、最初の誕生日プレゼントってことで、プロデューサーの腕、いただけませんか?」
柄にもなく、もじもじしながら妙なことを口走る。腕が欲しい? 切り落とせというのか?
「は?」
「つまり、こういうことです」
「って、り、律子?」
俺の腕に自分の腕を絡めて、律子が軽く寄りかかってきた。思わずよろけそうになった自分の足をなんとか立て直す。
「折角の『デート』、なんですから」
「ったく……ま、こんな腕でよければいつでも」
「ふふ。ありがとうございます」
少々気恥ずかしくはあるが……この程度のことで律子が笑顔になってくれるなら安いものだ。やっぱり律子には笑顔でいて欲しい、笑顔が一番似合う。そう思う。
「律子……誕生日、おめでとう」














